感情もなければ痛覚もない死神が唯一つ、現世で愛するものは「ミュージック」である。死神は、仕事の現場(人間界)に出ると仕事の合間を縫って、CDショップで音楽を視聴する。
死神は、寿命でない死を迎える人間を査定して、その人物の死の可否を担当部署に報告し、その死を見届ける。『死神の精度』は、そんな死神の私が出会った幾つかの死の判定の物語だ。
死を迎えるはずの人間を訪れ、1週間観察したり話をしたりして、死神は死の可否を決定する。大抵は可と報告されるのだが、表題作の第1章「死神の精度」で「見送り」とされる女性が出る。この死神の、「万が一、彼女が優れた歌手となることに成功したとして、さらに更にさらに、私がいつか訪れたCDショップの視聴機で彼女の曲を聴くときが来たら、それはそれで愉快かもしれないな」という気まぐれから。その女性のは歌手としての成功が最終章「死神対老女」で触れられる。
死神は、感情のない視線で、人間達を観察し判定する。が、何故か冷たさは感じられず、逆に暖かく心地よい気持ちになってしまった。何故だろう?死神と関わることで死に気付く人間の、本能的な暖かさが死神を通して伝わってくるのだろうか?
「ミュージック」を偏愛し、美しいものには美しいと言う事が出来る、だが人間に同情も畏怖もない、死神。その飄々としたキャラクターが、非常にいい。何千年も前に出会った思想家の言葉を引用したり、「死の判定」をした人々を思い出したり。案外、いい事を言うのだ。いい事を言って、「死の判定対象者」の気持ちを掬い上げる。が、判定は「可」。無情ではなく、淡々と仕事をこなす死神。それでこそ、いいと思う。
最終章「死神対老女」は、幾つかの伏線の集約する物語だった。その伏線から、『死神の精度』の物語は数十年の間隔があいているのだと気が付いた。なるほど~。
この章で「仕事の時はいつも雨」な雨男の死神が、初めて青空に出会う。そして「人間というのは、眩しい時と笑う時に、似た表情になるんだな」と気がつく。この章は、死神は判定をしないまま、終わりを迎える。老女は、「可」と判定されたのか、それとも「見送り」だったのか。そんなことは、どうでもいいのかも。死神が「初めて青空を見」、「眩しいも嬉しいも意味合いは同じ」という老女の言葉をよく理解できないこと。こっちのほうが重要に思えた。
(2007.03.10 読了)
この記事へのコメント
空蝉
水無月・R
スパムTBが多いので、確認するまで保留というスタイルをとっておりまして、空蝉さんの記事をアップするのが遅くなってしまいました。
ごめんなさい。
なんと『ダヴィンチ』で特集!図書館へ駆け込まねば!(図書館派の水無月・R)
ERI
この死神のフラットさが、いいですよね。伊坂氏の生み出すキャラクターは、味があってかみ締めるとおいしいです♪これからもよろしくお願いします。
すずな
水無月・Rさんにおススメ頂いたこの作品、ようやく読めました!
死神の千葉の世間ずれした言動がツボでした。各章が独立しているようで、最後の章で繋がっている。思わず「お見事!」と唸ってしまいましたよ~。
良い作品をおススメいただいて、ありがとうございました♪
水無月・R
私の方こそ、いつもすずなさんのブログから、次に読む作品の参考にさせていただいてます♪
伊坂さんの物語構成力って、本当にすごいですね。読んでて「うぉぉぉ!」って叫んじゃいました。
たかこ
死神のキャラ、結構好きです~ ^m^
水無月・R
最終章でわかる物語同士の繋がり、というのが伊坂さんの構成力のすごさだなぁ、と思いました。
無理がなく、綺麗に収束してゆく、その様は本当に素晴らしい~!ですよね♪