おしい!非ッ常~におしい!タニス・リーの「ダークさ」が変に緩められてしまってる。白雪姫とギリシャ神話を下地にダークファンタジーを描いてると思うんだけど、何だか、物足りないのですよ。なんだろう、何が足りないんだろう・・・。
美しい森の城の王女アルパツィアは、城を攻め落とした征服王ドラコのもとへ略奪され、その子を身篭る。その恐怖から、正気を失ったアルパツィアはドラコから見捨てられ、旧都に残される。その間、娘コイラは父母から省みられることもなく美しく育ち、ある日その姿に気がついた狂女王に追放される。
誘拐されたコイラは、誘拐の実行犯を殺害した小人と共に鉱山にたどり着き、小人の1人と恋人関係になる。が、その小人は二人の人種差を痛感しており、コイラから離れていく。
そこへ、狂女王が娘を恋い慕って現れるが、狂気から、毒の篭ったリンゴを一緒に食べてしまう。狂女王は生き残るが、コイラは仮死に陥る。そこへ、鉱山の支配者・死の王子ハドスが登場し、狂女王・アルパツィアを追い払い、コイラの仮死体を引き取る。
コイラは息を吹き返し、ハドスの愛人となるが、心はここにない。そこへかつての恋人(小人)が現れ、ハドスの興を失ったコイラを言葉巧みに譲り受ける。コイラは身篭っている。「罪のない、無垢の存在」 である、新しい子供を。
主人公は、コイラとアルパツィアどちらだったのだろう。アルパツィアは悲劇の女王として、狂気の果てに死して、真の恋人の下にたどり着く。コイラは白雪姫のように仮死に陥るが、目覚めさせた死の王子ではなく、小人と共に生きていく事になる。個人的には、アルパツィアの狂気のほうが、より陰惨な感じがして、心惹かれる。黒と白と赤。黒は森、白は雪、赤はバラ(血)。コイラには、これらが似合わない気がする。アルパツィアにこそ、恐ろしくも、美しいこれらが似合う。
コイラとアルパツィアは、鏡を通してもお互いを・自分自身を見る。そっくりな外見(物語後半でアルパツィアは老婆のごとき姿になってしまうが)。だか、毒気があるのはアルパツィアのほうだ。どうせなら、毒気のある悪女で狂女王な方が、印象的で、魅惑的だ。死の王子ハドスに処刑された後、真の恋人、森の王クリメノのもとへいけたのが、予想外なハッピーエンドだったと思う。でも、それでよかったと感じている。
最後の1節で、何となくコイラが身篭っているのは「キリスト」を示唆するのかな、という気もした。妙に奇麗事な感じがして、コイラには興味がもてなかったなぁ。
(2007.4.15 読了)
この記事へのコメント
空蝉
水無月・R
タニス・リーは遡ること10数年前に耽溺していた作家です。翻訳も良かったと思うのですが、ねっとりとした耽美さと言うか、質感のある文章がとても気に入っていましたね。
童話ってホントは奥深いんですよね。元々の伝承はかなりどぎつくて、本として編纂される際に子供向けにアクの抜けた描写及び設定になってたりして。いい例がグリム童話ですが。
『狼の血族』捜して読んでみようと思います。ありがとうございます(^^)!
香桑
アルパツィア&コイラは、オイディプスの物語の女性版であるような気がしました。精神分析を逆手に取ったような仕立て上げ方だと思いました。作者の意図を読むのが面白かったです。
もともとの童話は、きっとこういう風合いだったのだろうなあとも思いました。
水無月・R
先ほど香桑さんの記事の方へお邪魔したのですが、とても造詣が深くていらっしゃる!
私の文章が恥ずかしくなってしまいます・・・(._.)。
タニス・リーの編みなおした「白雪姫」は、ホントは知識のある人の方が理解できるんだろうな~。
でも、無教養な私でも、感覚的にその美しさには惹き込まれました。
香桑
分析することは私の仕事の一部でもあるのです。だから、ある程度、できないと困るというのもあるのです。
でもでもでも、カンダシスの子どもがキリストではないかという読みには、うならせられました。その発想は私にはなかったので、なるほど!と思ったのです。
私は水無月・Rさんの感性が大好きなので、どうぞ引いてしまわないでいてもらえたら、と願っています。
水無月・R
水無月・R的・萌え叫びワールド&思いつきの勘だけで妄想世界に入ってしまう感性ですが・・・。
そう言っていただけると嬉しいです(*^_^*)。
香桑さんの記事は、無教養の私に、わかりやすく知識を与えてくださるので、いつも楽しみにしています。
コチラこそ、今後ともよろしくお願いします!