『ダウン・ツ・ヘヴン』/森博嗣 ◎

~~真っ黒な
   澄んだ瞳。
   その中に、
   空がある。
   そこへ
   墜ちていけるような。~~   (本文より引用)
永遠に子供のまま、成長しない、キルドレの僕・草薙水素(クサナギ・スイト)。戦闘機で空を飛ぶその時だけ、生を実感できる。・・・それなのに。

森博嗣さんの「スカイ・クロラ」シリーズ。『スカイ・クロラ』『ナ・バ・テア』に続く、第3作。今作でまた、主人公・草薙の立場に変化がおこる。空を飛び、飛行術の限りを尽くして戦う時だけ、草薙に現実感が存在するのに。
会社は、草薙を「初の指揮官職に付く女性のキルドレ」として広告塔にしようとする。それ故、空を飛び戦うことを制限される、草薙。彼女は、戦闘力の高い相手と戦える時に喜びを感じ、相手を尊敬すらするのに。地上では、不安定になって腐っていくばかりなのに。

このシリーズ、今作『ダウン・ツ・ヘヴン』で、世界観が少しずつ明らかになってゆきます。とはいえ、仄めかされる程度ですが。
「戦争」が請負会社に委託されている理由。実際の戦闘に参加するのはほとんどがキルドレである理由。人間から派生した亜種であるキルドレが戦う事で、一般社会から切り離され、記号化する、戦争と平和。一般人とは一線を画した現実味の薄い戦いによる民衆フラストレーションの消化と、時に政治的危機を一般人へ与えるための道具としての戦争。暗黙の了解で、政治とつながっている、戦争。
すべては、茶番。
そのために、命を懸けて戦闘機で「ダンス」をする、キルドレパイロット(一部普通の人間)。

彼等・彼女等は、利用されていることに気付きつつも、何故その渦中に身を置くのか・・・。
「ひと」は、絶えず変化しながら生きていく。しかしキルドレは、子供の姿のまま永遠に成長しない。だから、その代わりに飛び続けられない空で、飛び、戦う事を選ぶのか?そして、空でだけ、自分の生を確認できるのだろうか?リアリティの欠如した、影の薄い、不安定な存在。自己の浮遊感。

『スカイ・クロラ』に登場したカンナミ(函南)・ユーヒチが、草薙の入院する病院に、同じく患者として登場。彼は、事故で記憶を失っている(ことになっている)。ああ、ここから二人の関係が繋がるのか。カンナミは草薙に、自分がよく見る夢を語る。「世界中が敵で、逃げ場がないのにとある女性と一緒に逃亡している。彼女は自分に殺されることを望んでいる。自分は彼女を殺し、後を追おうとするのだが、自分を殺したことで、夢から目が覚めてしまう」という、夢。カンナミは、後に草薙を銃殺する。カンナミは、『スカイ・クロラ』で草薙に再会した時、草薙との記憶がなかった。カンナミ(或いはキルドレすべて?)の記憶は、操作されているのだろうか?

女性幹部(大人)の甲斐に連れられ、新人パイロットの講師となったり、本社を訪れ広告塔として利用される、草薙。
また『ナ・バ・テア』で、死亡に立ち会った比嘉澤無位(ヒガサワ・ムイ)の弟とも出会う。
ティーチャと再会する。ティーチャとは、都市部上空(低位置)で戦闘を行うことになる。ティーチャとすべての技術を尽くして戦える、そのことに至上の喜びを感じる草薙。
しかしそれも、選挙を見込んだ政治的民衆コントロールの一端で、実弾を搭載されていなかった。本当の戦いにならなかったことに、激しい憤りを感じる草薙。その草薙に、甲斐は~~このまま、墜ちていくつもり?それとも、這い上がって、見返してやる?~~ (本文より引用)と、問いかける。
草薙は決意する。飛び続けるためにも、上(の地位)へ上がっていくことを。

いつまでも、子供の姿のままのキルドレは、やはり心も子供に近い純粋さを持っている。であるが故に、もろく儚く、そして強靭だ。そんなキルドレそのものの草薙に、次々と襲いかかる「大人の都合」。それによって、変容せざるをえない草薙の苦悩。それでも、一途に生きていく草薙の強さは、清冽なまでだ。地上にいる時、背筋をぴんと伸ばし、颯爽と歩きつつも現実味のない、草薙の姿が目に見えるようだ。

この作品群の根底に流れるのは「真の孤独」。周りに人がいるのに、関わりを持てない孤独。関わって尚、一人であることを実感させられる孤独。空にあっても、共に闘い、ダンスをしても、地上に降りれば、現実そのものに疎外感をたたきつけられる。
キルドレ達の、悲しい姿が、見える気がする。

今作の表紙のイメージは、曇った空。ただ純粋に、戦闘技術を駆使して戦うことを望み、空へと上がっていた草薙が、「大人の世界」の壁に立ち塞がられ、天国へと堕ちていく(草薙たちは雲の上で戦うが、天国は雲の中にあるのではと思っているから)、そのどんよりとした不安感を、あらわしているような気がしますね。

私は、この「スカイ・クロラ」シリーズが、好きである。日常の垢を削ぎ落とし、空でのみ現実感を纏う事の出来るキルドレ達の、果てしない孤独。澄み切った空に、鋭く透明な刃が飛び交うかのような、冷たい緊張感。どれもが美しい。読めば読むほど、不安になるほど、キルドレ達は美しく、儚く、遠くにいる。


ダウン・ツ・ヘヴン
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著者:森博嗣出版社:中央公論新社サイズ:単行本ページ数:319p発行年月:2005年06月この著者の


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