小川洋子さんの描く不思議な世界。一見、普通に私たちがいる現実世界のことのようなのに、いつの間にか、何かがズレてる。物語の登場人物たちは、夢の世界と現(うつつ)の世界のあわいを漂っているかのような・・・。
まさにタイトルどおりの世界を感じさせる『夜明けの縁をさ迷う人々』はそんな、美しかったり、グロテスクだったり、そこはかとなく暗黒調だったりする、ファンタジー短編集ですね。
『貴婦人Aの蘇生』も良かったけど、こういう不思議なズレ感のある物語も、いいです。9篇それぞれに、全く違った方向性の魅力があって。
「曲芸と野球」
野球好きの少年が、サード方向へヒットを打たない理由。少年の心優しさ。彼には、いつでも曲芸師さんが見えるのだから。
「教授宅の留守番」
留守の教授が受賞をし、留守番の者とたまたま訪れた私が、信じられないほどの量のお祝いの品に埋もれる羽目に。留守の教授はいったい?ブラックなオチ。
「イービーのかなわぬ望み」
中華料理店のエレベーターで生まれ育った男の生涯。それを看取るウェイトレス。彼女が彼に覚えたのは、恋情だったのか、母性愛だったのか。
「お探しの物件」
こちらが物件を選ぶんじゃなく、物件の条件に合う居住人を探す不動産屋にて。私はどの物件も嫌だ(笑)。
「涙売り」
涙が極上の楽器調整剤になる女が、関節カスタネット男に恋をした末に、極上の涙を流すために行ったこと。痛いのは嫌いです・・・。
「パラソル・チョコレート」
誰しも人生の裏側に別の人間が生きている。ぶっきらぼうだけど魅力的なシッターさんの裏側の人は。彼女が続けていた、チェスの真相は。
「ラ・ヴェール嬢」
マッサージの仕事にいくと、ラ・ヴェール嬢は甘美で退廃的な過去を語る。彼女の遺産である文学全集。
「銀山の狩猟小屋」
女流作家が下見に行った山小屋で、サンバカツギを追って行った男。残された作家と秘書はどうなるのか。
「再試合」
永遠に繰り返される、甲子園の決勝戦。選手に憧れた女子高生の願いが、それを続けるのか。彼女だけの妄想なのか。
私は特に、哀愁の漂う感じがする「曲芸と野球」、現実の存在が優しい幻想に入れ替わる「イービーのかなわぬ望み」、そこはかとない悪意が見え隠れする「銀山の狩猟小屋」、この3篇が気に入りました。
ああでも、「再試合」のループ感も、「ラ・ヴェール嬢」の耽美な成り行きも、好きです・・・。
どれもが、現実と幻想の境がいつの間にか曖昧になってゆき、美しい世界が広がってゆく感じが素晴らしかったです。切り替えのラインが全く見えない、互いを侵食し合い融合し昇華するさりげないその感じが、怖ろしくも美しい。
設定は現代日本風だったり、エキゾチックな東洋風だったり、何となくクラシカルな欧州風だったりするのですが、どれもす~っと馴染んでその世界に入っていけました。
美しくて、ほのかに哀しくて、そしてさりげなく怖ろしい。
ファンタジーだけど、明るいファンタジーではなく、ちょっとだけダーク感が漂う、そんな物語たちでした。私はこういうの、好きだなぁ。
(2008.10.14 読了)
この記事へのコメント
麻巳美(まみみ)
すてきに暗く、落ち着いた雰囲気の作品集でした。小川洋子さんの短編集はこういう雰囲気の多いかもな…と思います。まだたくさんは読めていないんですけれど。
たしか「海」っていう作品もすてきでしたよ。また機会があったら読んでみてくださいね^^
水無月・R
お勧めありがとうございます~!
暗くて美しくて、そしてちょっぴり苦い感じ・・・。こういうの大好きです~(*^_^*)。是非読んでみますね『海』。
june
水無月・R
夢と現実と幻想とがない交ぜになってゆく、とても美しい物語たちでしたね~。(例外はいくつかありますが)
『海』は、図書館に予約を入れたら、即日で連絡が来ました。近日中に取りに行って読みたいと思います!
藍色
目が離せなくて、楽しく翻弄されました。
迎える結末はまったく予想がつかなくて、放り出されたような気持ちになったお話もありました。
「海」は、もう少し明るめのお話が多いです。
水無月・R
夢と現の狭間ををさ迷う不思議な浮遊感が、とても気持ち良かったですね。
皆さんお勧めの『海』が、とても楽しみです~♪
紫陽花
水無月・Rさんがレビューされている作品は、どれもこれも私の好きな作品ばかりで、小説を味わう感性が近いのを感じ、嬉しくなります。
小川洋子さんは、もう私が大好きな作家さんで、その中でもお気に入りの「夜明けの縁をさまよう人々」の感想を書かれていますので、コメントしたいと思います。
小川洋子さんの作品には、いつもどこかに、いびつなものを抱えた人物が登場します。
彼らは人間が歳を重ね、丸くなって、するっと通り過ぎてしまうところを、通れず、通らず、立ち止まります。
いびつとは、その停止の姿勢が呼び込むもの。
だが彼らは、不思議に愛おしく、同時に無垢な清潔さを感じさせます。
その源には、何かを失った痛みや哀しみが強烈に感じられるせいでしょうか。
読むうちに、私は微かな加害者意識を持ってしまいます。
そういう形で物語に参加するのです。
つまり、小川洋子さんの創ったグロテスクな人物は、この世の悪意を吸い取って変形したとでもいうような、無意識の作物のごとき感触があるんですね。
この本には九つの短編が収められています。
「イービーのかなわぬ望み」は、育ててくれたチュン婆さんの死をきっかけに、自分がかつて産み落とされた場所でもあるエレベーターから、出て来なくなったイービーの話。
ウエートレスとして働く事になった「私」は、夜食を運んだ事で彼と仲良くなり、イービーの危機を救おうとするのですが、果たしてイービーは生き延びられるのか?
人間は、心や体にいつも何かしらの欠損を抱え、何かを始終、失いつつ生きているのだと思います。
私たちはみな「夜明けの縁をさ迷う人々」なんですね。
そういう不安や生きる哀しみが、何かを得るという、めでたい物語ではなく、さらに深く、もっと徹底的に、何かを失い続ける物語によって、癒されるのはなぜなんでしょう?
あり得ない虚構の物語ですが、リアリティーへの回路が開いており、その回路を通して、一つの哀しみが、単なる哀しみや慰安を超え、不思議な力へと変換される。
「涙売り」という一編には、最も高品質な涙は、痛みから生まれる涙だという、それこそ痛みのある「私」の認識が書きとめられてありましたが、痛みや不安、怖れこそが共有できる感覚であるというように、小川洋子さんはそこから目をそらさず、そこから豊かな物語を生み出すのだと思います。
水無月・R
好みの物語の傾向が似ているって、嬉しい共通点です!光栄です♪
小川さんの描く、現実と少しずつ融合しながらひたひたと広がっていく、ファンタジックな世界がとても好きです。
紫陽花さんがおっしゃるように、いびつさを抱えながら静かに生きていく彼らの、決して主張しすぎない優しさや強さや美しさの物語を読んでいると、とても切なく温かい気持ちになってきます。
彼らが人知れず静かに幸せに行きていけることを、願ってやみません。