本当の天才って・・・すごいけど、ここまで来ると全っ然、羨ましくないな・・・。
いつもの伊坂幸太郎さんの作風である、張り巡らされる緻密な伏線、そして見事に回収され収束するラスト・・・というのは、本作『あるキング』にはなかったな~。まあ、伊坂さんご本人も、あとがきで雰囲気が違う小説って言ってらしたしね。
まあ、こういうのもありかな~と思いつつ、主人公・山田王求は人生楽しかったのかしらん・・・と思わずにはいられない。
弱小球団・仙醍キングスの熱狂的なファンを両親に持った山田王求(おうく)は、仙醍キングス監督が死亡した夜に生まれた。両親は〈王(=仙醍キングス?)が求め、王に求められる〉という意味をもった〈王求〉という名を付け、野球選手とするべく、異常なまでの情熱を注ぐ。
そして、あっさりそれに応えていく王求。チームメイトや監督、対戦相手、プロ選手まで鼻白む程の圧倒的な実力、フォアボールや敬遠さえされなければ、打率9割という成績をたたき出してゆく。淡々と。
その中で、正気を失ったクラスメートの父に打球を当てて死なせてしまったり、中学で王求をいじめた上級生を父親が殺してしまったりと、不穏な事件が起こる。父の罪は高校1年生になった時発覚し、王求は高校を中退し、所属するチームを失って、個人的にトレーニングを重ねてゆく。
友人の名を借りて受けた、仙醍キングスのプロテストに合格(オーナーの肝入り)、驚異的な打率を誇りつつも、監督からは厭われ、相手チームからはフォアボールか敬遠ばかりかけられる。
そして、ある日、バッターボックスに立つ直前に、コーチに刺され。それでも、王求はホームランを打つ。
なんかね~、可愛そうな位、いつも淡々としてるの、王求が。打って当たり前、野球するのが、そのためのトレーニングをするのが当たり前、自分の感情はない・・・って感じで、それが、かわいそうというか、なんとも恐ろしいと思った。
周りの人間が、あまりもスゴ過ぎる王求を疎ましく思う気持ちの方が、美しくはないけど、理解できる。
たびたび現れ、憐れむように、嘲笑うように、予言と宣言を与えてゆく、3人の黒づくめの女達。「おまえ」と語りかける見えない語り手。「君」と語りかけられている存在。時々現れては仙醍キングスユニフォーム・背番号〈5〉だけを見せてゆく男。
どれもが、王求が仙醍キングスにおける哀れなる〈王〉になること、そして〈王〉であることだけを、執拗なまでに指し示していく。
三人の黒づくめ女は、『マクベス』の魔女を示唆している、と思われる。揶揄するような、侮蔑するような、「おーく、多くを望むがいい」「おーく、それでも王になる方よ」というセリフは、王求を惑わせることが出来たのだろうか。あの女達が現れずとも、王求は仙醍キングスに行き、自分の運命を全うしたのではないだろうか。
仙醍キングスのために生まれ、仙醍キングスのために育てられ、仙醍キングスのために活躍し、そして、仙醍キングスのために死ぬ。自己犠牲とか、そういうレベルじゃないと思う。抜きん出ているが故に、己の中ではそれはただ平々凡々な出来事だと感じてしまう王求。
まっすぐ過ぎて、いびつで、哀れな男だと思う。物語としては、とても凄いことだと思うけれど・・・。
それでもやはり、王求の生き方は、正しくないって思ってしまう。王求は、きっと正しいとかそういうことは一切、考えないんだろうけど。
・・・それは、哀しい事なんじゃないだろうか。
そう思わせたことが、伊坂さんの勝利、なのかもしれない。
(2010.02.26 読了)
この記事へのコメント
苗坊
私も、王求は幸せだったのかとそればかり考えていました。
可哀相としか思えなかったです。
王求にチャンスを与えたいと思いつつ、それでも近くにこういう人がいたら嫌だろうなとも思ったり。
語り手の正体はこう来るとは思いませんでした。
王求は全てから解き放たれて、自由になれたんでしょうか・・・
じゅずじ
王求は純情すぎたのでしょうか。
それとも裸の王様だったのでしょうか。
やはり勝ちすぎ、強すぎはよくないですね(^^ゞ
水無月・R
王求に対する思いは、物語の中の人々もそれぞれでしたよね。
何だか、王求は死後すらも、淡々と野球をしそうで・・・。真の天才に対して、哀れを感じるのは失礼かもしれないんですけどね~。
色々なしがらみや感情を捨てて、幸せになっても強いですよね。
>じゅずじさん。
勝ちすぎると、称賛されつつも、疎まれる。
確かにこんな人がいたら、どんなにできる人でも自分に希望を持てなくなっちゃいそうですもんね・・・。
ERI
そうなんですよねえ。どうも、王求の人生は幸せとは思えない。多くの才能を持っていることは、より多くの大変な事を抱えてしまう事だとは思うんです。この物語の中で、その彼を理解し、彼に「ありがとう」という人が誰もいなかったのが辛いんですよね。彼の努力は報われなかったのかもしれない・・それが辛い。人の心というものが、彼の一番の敵だったのかもしれませんね。
ただ、王求は、野球が好きだった。そこを貫いた彼の生き方は、やっぱり美しかったと私は思います(^◇^)
水無月・R
〈王〉だから、誰からも感謝されない、王であることの孤独。
王求は、人から愛される事や自分の感情よりも、王であることを優先した・・・ということなんでしょうね。
本人は、満足だったのかもしれない・・・。
june
水無月・R
完璧すぎる才能は、それ故に忌避されてしまう・・・。
とても悲しいことだと思いました。
それでも、淡々と野球を続けていた王求の様子は、切なかったですね。
すずな
水無月・R
どうしても、王求がかわいそうで仕方ないのです。
ただ淡々と野球を追及する姿が、(野球ではなく)生きることに喜びを感じていたとは思えないのですね。
スッキリするより、なんとなく引っかかりを感じてしまう物語でした。
空蝉
トラバありがとうございました。
この物語は・・・色々な意味で伊坂氏の朝鮮だと思います。どうしても伊坂節が恋しい私としてはなんとも評価のしがたい作品でしたが・・・
むしろ読者が試されているような(笑)
ずいぶん前に読んだ作品ですが、ずっとUPを忘れておりました;; 怠慢ですね;;
王様に怒られないうちにUPしました(^_^;)
水無月・R
今までの伊坂節がなくて、ちょっと異色でしたね~。
確かに、読者が試されてるのかも(笑)。
いや多分、王様は怒らないですよ(^_^;)。
王さまは、野球のことだけ・・・ですから。
たかこ
そうですね、王求それでいいの?って疑問をもたせるのが狙いだったのかな、と思うと伊坂さんの勝ちのような気がします。
いつもの伏線がなく、ちょっと残念でしたが、違う見方をすればこれもアリなのかもしれませんね。
水無月・R
王求が、あまりにも淡々と野球を受け入れ、こなしていく姿が、哀れでした。
超越した人間の哀しさ、異様さを印象付けるという意味では、伊坂さんの勝ちだったのかもしれないんですけどねぇ。
みな
それが、本の意思だと感じました。
その淡々としていて動じないのが王求の強さではないのですか?
だから、哀れだとも思いません。王求は強い、素晴らしい選手だと思うだけでした。
自分の人生を一つのことにぶつける姿は美しいものです。
スポーツ選手やアイドルを応援する時に、何を感じますか?
情熱であったり愛しさであったり、どうにか頑張ってほしいと思いますよね?
哀れなんてことは多少は感じても、それがすべてではありません。それに、選手やアイドルはそれ以上に答えてくれます。
また、王求にもそれを感じました。選手を応援している気持ちで読みました。
淡々と冷たい文章の中に、燃え滾る様々な人の想いが詰まっている、そこが面白い所なのでは?
水無月・R
そうですねぇ…、私は、考えてしまったのですよ。才能のない凡人と、すべてを超越した才能を持つ天才を、同じ物差しで測るのは、おかしいのかもしれないんですが。
王求は、ファンのため、自分のため、淡々と自分を高めていった、それは事実だと思います。
一つの作品に対して、いろいろな考え方があると思って、私の記事も許容していただければ、と思います。