菅浩江さんの描く〈人〉と〈ロボット〉の物語は、郷愁と淋しい温かさに満ちています。
本作『プリズムの瞳』に登場する〈ピイ・シリーズ〉というロボットたちは、ただそこにいて「絵を描く」だけの存在であるにもかかわらず、彼らに関わる人間たちの「己の弱さ」を自覚させてしまう。
〈人〉と〈ロボット〉の関係性の曖昧さが切ない、少し未来の物語。
文庫版で400ページ近いかなりの長編でしたが、すっきりと読みやすかったです。
私が読んだ菅さんの作品の中で、感情学習より専門性を極めた〈ピイ・シリーズ〉が出てきたのは『雨の檻』の「カーマイン・レッド」ですが、かなり昔のことで、ぼんやりとしか内容を覚えていません…(^^;)。
同じ『雨の檻』の表題作「雨の檻」に出てきた感情学習型〈フィー・シリーズ〉の方は、覚えてたんですが・・・。
菅さんの作品世界、つながってるんですね。そういう「物語の世界はその世界として大きく広がっていて、登場人物(機械も?)たちは物語に描かれていない時も生き続けている」という感じがとても好きなので、嬉しいです。
かつて、専門分野に特化した活躍を求められて作られたロボット、ピイ・シリーズは、〈人間の仕事を奪う〉〈人とのやり取りが杓子定規なため、コミュニケーションに支障を来す〉など、様々な理由から人々に専門家としての存在を疎まれ、現在は「絵を描く」という正直毒にも薬にもならない機能を持って、市中に存在することになった。
ピイ達はただそこに在って、絵を描くだけ。ピイに声をかけて関わろうとする人間の心の中にしまってある真意が、その人の中で明らかになってしまうだけ。
そんな様々な物語が9つ描かれ、その中でピイ・シリーズに狂信的なまでの悪意を持つ男が見え隠れし、またピイ・シリーズを守ろうとする老人たちがいて、ピイと共に放浪を続ける少女とその秘密が少しずつ明らかにされていく。
未来の技術発達の著しい進歩と、それでも人の本質に醜さや美しさや優しさが混然として存在することが、情緒的に語られていました。
―― ピイを疎む人の気持ちも、わからなくもない。でも、排斥したいとは思わない。できれば、うまく共存していきたかった。 ――
たぶん本当は、そういう人が多かったのではないかと思います。或いは、そうであってほしかった・・・でしょうか。
ただ、声が大きい人の意見が通ってしまうのが世の常で、ピイ達は専門性を奪われて市中を放浪し人と交わり、更に疎まれて。
それでも人々の中に在り続けようとするその姿は、切なくいじらしく感じられました。
ピイ達を支援する老人たち、その場に現れるピイ開発に携わった博士やスタッフたちが襲撃されたときは、本当に読んでいてつらかったです。でもきっと、大きな傷を残しながらも、その場を乗り切って、再びピイが「残存種」として、ゆっくりと滅びながら人の生に寄り添っていけるようになるだろうと、そうとも感じられたので、何とか読み切ることが出来ました。
物語の途中で挟まれるブリッジストーリー、語り手が誰かが一番最後にわかって、驚きました。
でも、最後に明らかにされたその語りで、〈機械〉と〈人〉の行く末に「思い出が充ちて光いや増す」という言葉があり、とても心穏やかに読了できました。
いつか、〈人〉と〈ロボット(機械)〉が優しく共存できる世界が、現実にも来ますように。
そう願ってやみません。もしかしたら、私が多少なりとも、それに関わる日が来るかもしれない。関われたらいいなと祈りつつ。
(2018.02.16 読了)
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