時に多数の鼠や地下生物や鳥などに拡散し、時に一人の人間に凝縮しながら、長きにわたって「東京」という土地に意識があり続ける存在の〈私〉。
その私が語りだす、5人の人間に凝縮していた時代の物語、『東京自叙伝』。
いやぁ、読むのに時間がかかってしまって、ちょっと疲れました、奥泉光さん。
この作品、感想難しいです…。
面白かった、と一言では言えない。幕末あたりから東日本大震災まで、人間の意識に凝縮しながらも、鼠の習性から地震や火災に狂乱する〈私〉が、様々な事件に関わり合い、ひそかに時代を動かすこともあったり…。という物語なんだけど、人間に意識が凝縮している時ですら、話題があちこちに飛び、細かく分かれる段落でその人間の人となりや来歴を語るという落ち着きのない展開が、ちょっと読みづらかったです。
確かに少々厚みのある本ではありましたが、読み終えるのに3週間以上かかったのには、結構参りました。
幕末の辻斬り男・柿崎幸雄、日露戦争時代の軍部参謀・榊春彦、戦後混迷期の裏社会の男・曽根大吾、高度成長期に暗躍した友成光宏、バブル崩壊前後の徒花・戸部みどり、そして原発労働者・郷原聖士、この五人それぞれが「東京の地霊」として東京や東京に関する場所で活動し、暗躍し、掻き乱し、東京という土地の栄枯盛衰を担っている・・という話、で合ってるのかな~、違うのかな~(笑)。
途中から、様々な事件に関連する人物が「私」(当の5人以外でも)であると主張し始めたのには、ちょっと食傷してしまいましたが、後半ぐらいからは「ハイハイ、三島由紀夫もアナタですか、三億円事件もアナタですか、バブルでジュリ扇持って踊ったのもアナタですか(笑)」っていう雑な感じで流せるようになってしまいました。
まあ、東京という土地の地霊だとすると、「東京」を形作る文化や事件すべてに関わりを持っているのも当たり前なのかもしれませんなぁ(笑)。
最後の、郷原聖士の章の終わりで、「東京は壊滅しつつある」「景気に踊っていればよい」と地霊の私は言う。
人の世が滅ぼうが、栄えようが、地霊は全てを受け入れ、狂乱し、そしてずっと存在し続けるもの…なのかもしれません。
一介の人間には、よく分からないルールが存在するのかもしれないし、しないのかもしれません。
大体、地霊の存在すら認知できませんからね。もしかしたら、みんながみんな「私」なのかもしれませんし。
などと、ぼんやりとした感想を抱きつつ、やっと読み終えたのでした。
(2019.06.16 読了)
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