『落花狼藉』/朝井まかて ◎

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江戸吉原が誕生し、街として発展し、大火に2度会い焼失、そして新吉原への移転。
奢侈禁止令など〈お上〉から命じられたことに対しても、ただ従うではなく様々な交渉や抜け道を使い、商売敵である女歌舞伎や風呂屋を排除したり、世情と絡めて夜見世禁止を解かせたり。
そういった吉原の歴史を〈吉原創始者であり傾城屋の楼主・甚右衛門の妻・花仍(かよ)〉の視点で語る、『落花狼藉』
朝井まかてさんの描く吉原創成期、苦界に苦しむ女たちではなく街とその街を育てた経営者たち中心にした物語で、新鮮でした。

新しい〈売色御免の街〉を作るため、お上に掛け合い更地からの街造りを仕上げた、西田屋の甚右衛門。
その妻・花仍は、幼い頃拾われ、西田屋で育てられたものの女郎には向かず、気の強さから「鬼花仍」と呼ばれ嫁の行き先もなく、西田屋の女房に収まった。見世の女郎を物見遊山に連れ出しては歌舞伎者と口喧嘩をし、駕籠かきの錫杖を振り回す気の強さはありながらも、街の寄り合いでは思慮の足らない発言をして周りを煽ったり呆れさせたり。

今までの朝井さんの描く女性像とは、ちょっと違った感じですね。
凛とした佇まいに憧れを抱けるようなタイプではなく、どちらかといえば、情もあるけど、忙しさに紛れて娘を蔑ろにしてしまったり、夫と仲違いをしたまま逝かせてしまったりと失敗も悔恨もある、なんとなく身近に感じられる女性像でした。

沼地の開拓から始まり街を作り上げ、お上とのやり取りで困れば町を挙げて寄り合いを行って対策を練り、どうやったら〈吉原という売色の街〉がより煌びやかに確実に生き延びてゆけるか、花仍だけではなく、甚右衛門や遣り手婆のトラ婆、揚屋の多可、西田屋の梓太夫、若衆歌舞伎の勘三郎、養女の鈴・・・魅力的な登場人物たちが、互いの持ち味を生かしながら、街を盛り上げてゆく。

ちょっと、駆け足だったかなぁ。一つ一つのエピソードをもうちょっと掘り下げてもよかったかな、と思ったりもします。
でも、本作の本当の主人公は、花仍ではなく〈吉原という売色の街〉だと思えば、その歴史を追うのに一人ずつの物語を追い過ぎては煩雑になってしまうかもしれません。

梓太夫(若葉)が亡くなったときは、結構ショックでした。歌舞伎の勘三郎と思い合いながらも、年季が明けるまでと約束していたのに、親の心ない前借り追加に応えるを得ず年季が伸び、更に稼業の末に子を孕んでしまい、その産褥で命を失う。これから、これからだったのに。やっと、幸せを追うことが許される時期に入ろうかというときに。

その時の赤子・鈴を娘分として育てながらも忙しさに紛れて心が隔たり、甚右衛門の「法度破りの楼主の磔刑」の言い渡しに「外道」を感じて
向き合えなくなり、という中盤は読んでいるこちらも辛かったですね。

その辛さを和らげてくれたのが、トラ婆の存在でした。
まさに遣り手婆そのもの。しかし、遣り手婆は見世から給金をもらってるわけじゃないんですね~。知らなかったです。じゃあ何で生計を立ててたかというと、客からの祝儀。婆さんから「おしげりなさいまし」とことほがれると、ついついなじみの客などはトラ婆の前に置かれた鉢に、祝儀を入れてしまうという。
そんなトラ婆と花仍と鈴が風呂屋(湯女が色商売をする湯屋)に乗り込んだ時は、ニヤニヤしてしまいましたね。
遣り手婆を瀬川に引き継いだ後も、格子の暗がりから客に声をかけてギョッとさせたりして、何というか妖怪じみてるともいえるし、西田屋のゆるキャラともいえる(笑)。
守銭奴なところもあるけど、ちょっとカッコイイな、なんて思ってしまいましたね。

花仍が曾孫にも恵まれ、新吉原への移転と夜見世再開も経て、最期を迎えた時の「爛漫と咲いて、散れ」の一言。
ずっと花街と共に生きてきた、育ててきた女の矜持を見た気がします。
後世、吉原に桜は植えられたのかどうか、私は知らないのですが、きっと「花仍の望み」と知られていなくとも、誰かがそれを叶えたのではないか・・・、そうだったらいいなと思いました。

そうそう、終章でさらっと出てきた菱川師宣、松尾芭蕉。決して彼らの若い頃のことではないけれど、きっとこの吉原という街や傾城屋の大女将(ご隠居)から〈粋〉を学び取って、その芸術に活かしていったのだろうな、素敵だなぁ・・・。史実じゃなくても、そう思えるだけの鮮やかさのあるエピソードでした。

(2020.09.13 読了)

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