ワタクシ、アラフィフ、長男の嫁。
自身の両親、夫の両親、ともに今のところ健在。
いずれは介護もあるだろうな・・・と思うと、ついつい〈介護もの〉の作品の存在を素通りできなくなってしまってる今日この頃。
いやもう、なんかねぇ、読んでて辛かったわ~。
谷川直子さんの『私が誰かわかりますか』、切実すぎて・・・。
鳩ノ巣市という地方都市に住む子供世代(といっても年代としては中年ぐらい)と、その郊外の農村地区に住む親世代の、介護を巡る物語。
田舎のムラ社会って、キッツ~い。〈本家〉とか〈長男の嫁〉とか・・・色々しがらみが多すぎて、やってられないわぁ、私だったら。
一応、ワタクシも長男の嫁なんですが、ムラ社会じゃないので、ここまで大変ではないと思います、たぶん。
ただ・・・本作の男性陣と同様、〈介護の大変さ〉を理解できないであろう〈夫という壁〉は立ちはだかってます。ああ辛い(笑)。いやまだ、介護は一切始まってないんですけど、想像するだけで・・・やってらんねぇ!!!
ライトな文章で、割とすいすい読めちゃうんですけどね。
その勢いで読んでると、突然〈介護に苦労してる登場人物に感情移入してる自分〉に気付いて、ガクンと苦しい方に落ち込んでしまうのですよ。
介護する対象との関係、他の人たちの前ではカッコつけてちゃんとして見えるので大変さが全然理解してもらえない、やっと入所できた施設で問題を起こさないかハラハラしたり、病気になって入院したはいいけど認知症は家族介護してくれと言われたり、病気そのものは良くなったから退院してくれと言われるが身体介護状態は入院前よりひどくなってるとか、なんかもう・・・。
終わりが見えないから、つらいですよね。「終わり」は「死」だから、望むというわけにもいかないし。
メインの物語は義理の父・守を介護する長男の嫁・桃子なんですが、それ以外も桃子の親友で東京で義理の父を介護している恭子、亡くなった夫の父を介護してる静子、高齢出産で四苦八苦してたら夫が相談なしに認知症になった義母を同居するといって連れて来てしまった瞳、病院の家族介護の代理を職業にしてる昌子、守の妻・涼世、守の本家の当主の妻・紀江、・・・沢山の女性が、介護や田舎の人間関係などに苦悩しています。どれも、つらい。
人間関係の方は、「そんなに気にしなきゃいいのに」と思わないでもないんですが、きっと当事者にとってそんな簡単に割り切れることじゃないんでしょうねぇ。私はそこまで大変じゃなくてよかった・・・なんて思ってしまいました。
しかし、ホント、長男の嫁は無料の介護要員かよ?!ってツッコミ入れたい。まあ、だんだんそういう世の中から、変わって来つつはありますが、当の「ご長男様」がネックだったりしますよ。はぁ・・・。外ヅラよく引き取るとかいうけど、実際の介護はほとんどやらなくて、奥さんの大変さを理解できない。私、これやられたら、キレてやろうと思ってます(笑)。いや、ある程度は頑張るつもりですけどね。
どの介護も、それぞれに大変で、スッキリする解決策なんてある訳もなく、何とかやり過ごしていくしかない。
それが切なかったですわ。ホント。
最期に、守が亡くなった後、「義父は自分をわかっていたのだろうか、「このおなごは誰じゃろう」と思われてたかもな、嫁なんてそんなものだ」と桃子が思うシーンがあります。
・・・なんて悲しい。でも「嫁」じゃなくて「桃子」という一人の人間として認識して覚えててくれたのは、よかったのかもしれない、・・・どっちなんだろう。
どちらだとしても、桃子は本当によく頑張ったと思います。
後悔もあるだろう、でも満足とまではいかなくても、少しは満たされる思いもあったのだったらいいな、と思います。
介護の予習のつもりはないけど、いろんなパターンを読むことで、ちょっとは心構えになったらいいのですが、どうでしょうねぇ。
物語の進行通りに現実が展開するほど、世の中単純じゃないですもんね。
それでも、読んでよかったと思ってます。
(2020.10.11 読了)
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