『シーソーモンスター』/伊坂幸太郎 ◎

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2021年、最初の読了本は伊坂幸太郎さんの『シーソーモンスター』です。
まあ、本当のことを言うと、21年になってから読んだのはほんの十数ページなのですが・・・(年末は忙しい、と言い訳させてください;;)。
この作品は、「人と人の対立」というキーワードで、「海族と山族の血筋をひく者同士はぶつかり合う運命にある」という設定を共有させた、『螺旋プロジェクト』という連作短編企画の中の2編だということです。
巻末に他の作品も紹介されてました。「対立」がテーマということで、ちょっと重い感じもしますねぇ。

「シーソーモンスター」
嫁姑の対立から疑心暗鬼に陥る嫁、夫の危機に二人は手を取り合うが・・・
海族と山族はどうしても対立するもの。

「スピンモンスター」
子供の頃自動運転の車に乗っていて、事故に遭った二人。再会してはお互いをビリビリと警戒しあう仲に。
人工知能に関する事件に巻き込まれた「僕」と対立する一族の「檜山」、どちらの記憶が正しいのか?

「シーソーモンスター」の方は、姑の前職の予想はちょっとついちゃいましたが、それでも面白かったです。
夫の危機に手を取り合うものの、解決した後に同居解消、でも二人で絵本を制作して出版するという共同作業をするという、はたから見ると矛盾してるような行動も、「海族」と「山族」だから。顔を合わせない方が、平和にやっていけるからなんですねぇ。

「スピンモンスター」は基本的な主人公・水戸直正の視点で話が進んでいくので、ついつい水戸の方に肩入れをしてしまいがちなのだけど、水戸の恋人であるヒナタさんが実は審判だったということが判明してからは、妙にキナ臭い展開に。恋人に不利になる情報を檜山に流してしまうヒナタさんは、本当に恋人だったんだろうか・・・とちょっと思ったりしますねぇ。
どんどん水戸と彼を連れ回す中尊寺が追い詰められていく裏には、人工知能「ウェレカセリ」の自己保存のための策謀があり、ウェレカセリの狙いである「人と人の対立を促すことによって、進化や変化を発生させる」という論理は、まあ分かるんだけど・・・それをするために一部の人間を犠牲にしてもいいのか?と言う疑問は残りますよね。
まあ、人工知能としては「全体的な人間の維持・発展」のための枝葉末節は、数の論理で切り落としてしまうものなのかもしれませんが。
そういう意味で、ちょっと「スピンモンスター」の方の読後感は、よくなかったですねぇ。

水戸と中尊寺がヒントを求めて訪れた八王子の山奥に住んでたのが、絵本『アイム・マイマイ』の作者で「シーソーモンスター」の主人公・宮子のところで、見た目は元気な90代のおばあちゃんが実はとんでもない体術の持ち主だったり、秘密兵器的なビッグスクーターを持っていたりというところは、楽しかったですね。長生きしそうだなぁ、宮子さん。

海族と山族の対立って、どうしようもないものなんですかねぇ。
物語の最初と最後にさらりと差し込まれる小エピソードで、「出会ってはいけないんだ」と大人は言い、子供は「仲良くやればいいのに」と言う。
いつかは仲良くやれる、なんていう希望はなさそうです。
この対立あってこそ、大きな歴史は動いてきたし、個々人の小さな歴史も停滞せずに進んだのかもしれません。
なんだかちょっと、残念だななんて思ってしまうのは、私が小市民だからなのかしら。

(2021.01.01 読了)

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