たくさんの「あたしたち」の関係を描く、王谷晶さんの『完璧じゃない、あたしたち』。
新聞の書評を見て、面白いかなと思ってリスト入り。
23もの短編があり、様々な「あたしたち」がいて、理解出来たり出来なかったり。
軽い文体で、するすると読み易かったですねぇ。
最初の物語「小桜妙子をどう呼べばいい」は「自分の1人称を選択できない女」の話。
実を言うと最初は正直どうでもいいわ~と思っちゃったんですよね、私。
主人公・小桜妙子が、職場の飲み会で〈自由過ぎる帰国子女・夏実クラーク横山は一人称を決めてない、アタマの中ではI,My,Me〉ということを知り、目の前が開けるという展開は、なるほどなと思いました。
そして仲良くなって英語を習う、なんて物語的にはベタなんだけど、現実にはあんまりないよなぁ・・・なんてね。
この「あたしたち」な関係は、結構好きですね。
「ばばあ日傘」の語り手老女が、雇い主のお嬢様を「あの女」呼ばわりしながら過去を回想する。
そして彼女が犯した罪を引き継いで仕上げた「あの女」が、刑期を終えたのを迎えに来たことがわかるラスト、なんだかふんわり心が温まりましたねぇ。すっかり忘れ去って、或いは忘れることにして、関係を断つことも出来たのに、待ってるバス停で彼女を貶しながらもきちんと迎えに来る、心から嫌ってたわけじゃないんだろうなと思えて、よかったです。
出来たら、刑期を終えた「あの女」はどう思ってたのか、という物語も読んでみたいですね。
「戯曲 グロい十人の女」は結構長かった(笑)。普通に始まったように見えて、途中からB級ゾンビ映画に転換、ラストは〈母は強し〉で終わるけど、この物語は今後どうにもならない救いはないんだろうなと思うと、最後に生き残った二人のことが切なかったですね。
女同士の友情・愛情(恋愛・親子愛なども含む)って、難しいというか、複雑ですよね。いやまあ、「女同士」だけじゃなく実際は「人間同士」なのかもしれないけど。
でも、あえて「あたしたち」で括って、変に改まった関係のことは描かないそのゆるさが良かったです。
どっぷり同性愛の物語もあれば、ノンケに恋い焦がれた末に失恋してしまう物語、ノンケだったはずがアプローチされて揺らいだり、そんな物語も「ふふふ・・・」って感じで読めました。
いろいろな「あたしたち」の関係、面白かったです。
(2021.01.10 読了)
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