
いやぁ、〈ザ・土着民俗学系ホラー〉だわ~。ていうか、民俗学を超えて、古代神話学も含んでてて、なかなかに壮大でしたね。
坂東眞砂子さん、『死国』を読んでその土着民俗学系ホラー(そしてあの作品もやはり古代神話を含んでましたね)のリアリティとその押し寄せる恐怖に震撼したことを、私は忘れられませんよ・・・。そして本作『蛇鏡』でも、畳み掛ける奇異な現象、忍び寄る恐怖、絡まり合う因縁・・・と、たいへん怖い思いをさせられました。
仕事で地方に行く婚約者・広樹に、奈良の実家まで連れてきてもらった玲は、自殺した姉の形見の〈赤い蛇の鏡〉を見つけてしまう。それを磨きながら、自分から求めてばかりの広樹と自分の関係性に不安を覚えるようになってしまった玲は、学生時代にほのかな憧れを抱いていた考古学者・一成と再会してしまう。
一方、近隣の鏡作羽葉神社の宮司・東辻高遠は、神社内の池が赤く染まり始める現象に悩んでいた。これが100回目を迎えると、〈蛇神〉が復活し、大変恐ろしいことが起きてしまうと代々言い伝えられており、そして今回がその100回目なのだ。
一成が発掘調査をしている遺跡ははなびらの形にとぐろを巻く蛇を模しており、玲の持つ鏡の蛇もはなびらの形をしており、更には鏡作羽葉神社の〈みいさんの祭り〉で使われる藁で編んだ巨大な蛇もまたはなびらの形で制作される。
いくつもの符合、予兆、関係者にだけ訪れる偶然のような必然、それらに導かれ池は赤く染まる。高遠が池の水を抜き、玲の自殺未遂が防がれたことで危機は脱したかと思われたが、その水は遺跡の環濠に流れ込み、玲の代わりの自殺者が蛇神の100人目の花嫁となったことで、蛇神は復活したのではないか・・・。だが、〈神なき時代〉に蛇神を畏れる必要があるだろうか、と高遠は鏡を池に投げ捨てる。
玲が死の間際にさまよった草原とそこで見たもの、そこで彼女を引き止めた一成、そして現実の玲の縊死を防いだ広樹、3人の関係は揺らいだままである。
そういった、何も解決がついていない状態で、物語は幕を閉じたのだった。
・・・これ、このままじゃ終われないですよね?
蛇神の脅威に蓋をしてしまった高遠、蛇神のことを知っていたのは高遠だけだったのだから気持ちはわかるし、もしかしたら〈蛇神の存在を信じるものが居るからこその脅威〉なのかもしれないから、もう何も起こらないのかもしれない。
ただ、鏡の蛇が赤ではなく台座と同じ銀鼠色ということに、私は恐怖を覚えましたね。赤い蛇は、やはり封じられた鏡の中から抜け出したのではないか。そしてそれはつまり、封じられて以来長年の怨念を滾らせた状態での復活だったのではないか。
のちに、この地からその怨念が溢れ出て、世界を恐怖と混乱に叩き落とすのではないか・・・そんな空恐ろしさを感じてしまいました。
玲と一成と広樹の関係も、解決がついていないままですね。
個人的には、玲は広樹と別れて自分の人生を立て直した上で、一成と向き合って欲しいなと思うのですが、あと3ヶ月で結婚するという状況をどうするのか、やや男性に(と言うより人間関係に?)依存しがちな玲が広樹という支えを切り捨てて一人で人生を立て直せるのか、という問題があります。それと、一成の優柔不断さや京都の大学での助手及び講師という立場の不安定さも、不安要素。
この3人の均衡がいずれ崩れるのは必然だと思うのですが、どう転ぶかわからないという意味で、何の解決ももたらされないラストだったなぁと。
いえ、それに不満があるのでは、全くありません。逆に、「一つの出来事が終わっても、〈ひと〉の人生は続いていくのだから、描ききれるものではないのだ」というリアリティを強く感じるのです。そういう意味でも、力強い物語だったと思います。
色々書きたいことはまだあるのですが、すでにもう長くなってしまっているので、このあたりで止めておきます。
坂東眞砂子さん、読み続けたい作家さんだなぁ・・・。
(2022.04.05 読了)
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