『機巧のイヴ ~帝都浪漫篇~』/乾緑郎 ◎

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『機巧のイヴ』『機巧のイ ~新世界覚醒篇~』に続く、〈機巧のイヴ〉シリーズ第3作目、『機巧のイヴ ~帝都浪漫篇~』
面白かったですわ~。グイグイとその世界に惹き込まれました。
乾緑郎さんの描く、スチームパンク風SFでありパラレルな発展を遂げた世界の物語、素晴らしかったです!

前作『新世界覚醒篇』から更に時を経て、大正時代に似た通天という年号の時代。
機巧人形(オートマタ)の伊武は、矢絣に女袴という服装で女学校に通っている。
親友のナオミは、前作のフェル女史の娘で、金髪碧眼の美少女である。
ナオミはとあるきっかけで知り合った男・林田に心惹かれていく。林田は妻子ある無政府主義の活動家で女たらしではあったが、ナオミに対しては誠実な対応をしていた。
やや過保護な母親・フェルに林田と会うことを反対されたナオミは、逆に家出をし、林田の母親のお夕の元に身を寄せ、ひと夏を過ごした。
林田に連れられ天府に戻ったナオミは、大震災に遭い、一度は家に戻るものの、お夕の安否を心配する林田と共に再度お夕に会いに行き、怪我したお夕を人力車の車夫・重五郎に任せ、林田と共に徒歩で天府を目指す。
しかし、二人は憲兵に捕らえられ、証拠隠滅のためナオミは首を折られて、命を失った・・・はずであった。

物語の舞台は、大陸の新国家・如州(満州?)の映画撮影所へ移動する。
新人女優に身をやつした伊武は、今は映画製作所の理事長となった元憲兵・遊佐の身辺を探るうちに、遊佐に連れ出されてしまう。
実は映画製作所の地下には、巨大な研究施設があり、そこではナオミの体を解体し実験し、林田や他の人間の体を改造し、生物兵器を製造しようとしていたのだが、その研究に見切りをつけた遊佐は軍部に追われることを恐れ、亡命しようとしていたのである。

疾走する大陸鉄道に拉致された伊武を奪還するため、フェルの操縦する複葉機から飛び降りる八十吉。
〈馬離衝〉を駆使し、並み居る敵をなぎ倒し、伊武が囚われている客車にたどり着くものの、遊佐との格闘に傷ついた八十吉は絶命。
フェルのもとに戻った伊武は、恐ろしい姿に改造された林田に救出されたナオミの修理を、フェル、フェルの元夫・加納朔太郎と3人がかりで始めるのであった。

そう。ナオミは、機巧人形だったんですね。
まあ、かなり最初の方からそれっぽい記述があったので、驚きはなかったんですが。
私はてっきり、フェルがどこかで天帝(スリーパー)を見つけて外見をナオミに変えたのかな・・と思ってたんですよ。
そしたら、ナオミは全くのオリジナル。フェルと朔太郎の技術で作り上げられた、新しい機巧人形だったんですね。
そして、彼女が最初に起動したのは、フェルの娘への思いがあったから。機巧人形が作動するには〈ひとに求められること、気持ちを寄せられること〉が必要。
そして、修理を終えてナオミが再起動したのは、林田の〈思い〉があったから。
終章、伊武がだんだん動きが間遠になり、ついに停止してしまったのは、〈思い〉を寄せてくれていた八十吉を失ってしまったから。
ちょっと、切なくなりましたね。

それと、ずっと伊武が大切に所持していた〈鯨右衛門の箱〉の中身は、空なのかもしれないというフェルの意見が、サラリと書かれていました。
え・・・やはり、そうなのか。釘宮も田坂も鯨右衛門の体を作らなかったのは、技術の問題ではなかったということなのですね。
でも、それに対するフェルの考えは「鯨右衛門の魂はこの箱に宿っているのでは」「だからこそ、伊武はいつまでもこの箱にこだわる」。
だとすれば、いつか、その魂だけを取り出して鯨右衛門を復活させることが出来るのかもしれませんね。
ただしその場合、鯨右衛門を起動させることが出来るのは、伊武だけ。
だとすると、その前にまた伊武を起動させてくれる人物が現れなくては・・・。

でも、一つ希望が残っているのですよ。
それは、〈天帝(スリーパー)〉。前作で起動し、軽やかに姿を消した彼女が、どこかで物語に登場してくれるのではないか。
であれば、彼女によってまた物語が動き出し、伊武にも起動のきっかけが訪れるのではないか。
そして、完璧な機巧人形、伊武・ナオミ・天帝の3体(+鯨右衛門?)が、華々しく活躍する、美しくワクワクするような物語が、また読めるのではないか、そう期待してしまいます。

前半の最初の方では、女学生の生活を満喫する伊武とナオミの姿が、のびのびとそして思春期にありがちな傲慢さもあって、なんだか別の物語みたいでした。SFやスチームパンク風な色合いはあまりなく、伊武の天然っぷりは相変わらずというか、いかにも育ちのいいお嬢さんみたいで、何だろ・・・?って思ってたんですよね。
でも、ナオミが恋に目覚め、衝き動かされるように行動し始め、その末に機巧であることが発覚し、非道な人体実験を繰り返され心を失い、林田の思いによって起動(その後の活動源は、フェルなどの愛情だったのだろうと思う)・・・。
〈ひと〉と〈機械〉の狭間で、機巧人形たちには、心や感情が備わっていき、様々な愛を受け、自分から愛するという感情も持つに至る。
美しく、儚く、それでいて希望の強さもある、そんな素晴らしい物語だったと思います。

(2022.08.28 読了)

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