『そこに無い家に呼ばれる』/三津田信三 ◯

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三津田信三さんの実録風ホラーですよ。
毎回「フィクションなのは、わかってるんだけど!!」とぎゃあぎゃあ言い訳しながら、それでもやっぱり怖がっちゃう系統の作品なのですよ。
『そこに無い家に呼ばれる』んだそうですよ。
呼ばれて、無いはずの家に入り込んで恐ろしい目に合う話、無いはずの家がある土地に侵入して恐ろしい目に合う話、心療中の患者が消えてしまった話、一言で言ってしまえばとても簡単なのに、これらの関連性を作家・三津田さんが解釈すると・・・。
ヤバいです。語彙力消えるレベルで、ヤバいです。

先述した「あの家に呼ばれる 新社会人の報告」「その家に入れない 自分宛ての私信」「この家に囚われる 精神科医の記録」という3つの記録が、三間坂氏(怪談愛好家の出版編集者)の実家の蔵から発見されたことから、物語は始まります。
この3つの記録の合間に三津田さんと三間坂氏の会合の様子が挟まれ、毎度のごとく脅しのような警告がされるのですよ。
「これらの記録を読んでいる最中に、なにかが「一つずつ減っている」または「増えている」ことに気づくことがったら、読書は中止した方がいい」と。
「はいはい、毎度の脅しですね~、もう慣れましたよ~、そんなの全然怖くありませんって~(笑)」と、言いたいところなんですが、妙に怖い。
というのも、ワタクシの身の回りでちょっとした変化が起こりまして、モノが減ったんですよ。必然的にね(笑)。「気付いたら」レベルじゃなく「あからさまに」なので、恐れる必要はないんですけどね。ただ、この警告内容知らないのにこのタイミングで読むことにしたのは、どういう偶然なのかなぁと思うとね、・・・ふふふ。
警告にプラスして、前2作『どこの家にも怖いものはいる』『わざと忌み家を建てて棲む』と同様に、三津田さんの著作の進行状況や読者からの反響などが書かれていて、じわじわとリアルとフィクション世界の境界を滲ませてくるなぁ・・・と。

まあ、そんな私の状況や、記録の合間のリアルとフィクションの混同具合なんかで、妙な精神状態というと言い過ぎ・・・読書感覚かな?で読んでおりましたよ。
記録3つとも、確かに怖いけど、まあ普通の怖さというかなんというか、そんなに衝撃的な怖さではないんですよね。
ただ。ただ、「終章」で〈これらの3つの記録の関連性〉を三津田さんが解釈したとき、あ・・やっぱりなって思ったんですよ。
一つの事象(正しくはそれぞれ年代は違う)を3つの方向から描いたものだったんだな。それぞれの見方・感じ方・表現の仕方の違いがこの3つの記録に分かれ、意味不明に見えていたんだな・・・と。
そして、さらに三間坂氏の解釈としての〈三津田先生が何か憑かれてか、それとも複数の小説を通して壮大な実験をしようとしているのでは〉という発言ですよ。
読者である私は、作家・三津田信三の手のひらの上で踊ってる(怯えている)だけなのか。
それとも、三津田さんの壮大な実験に、積極的に参加しているのか。

それらを知るためにも、やはり三津田さんの作品は読み続けなくちゃいけないな・・・と思ったところで「やっぱり術中に嵌ってるな」と気付きました。
さてさて、三津田さんは4作目を書くのか、書かないのか。そして、私はそれを読むのか、読まないのか。
読んで、壮大な実験を目のあたりにするのか、そしてそれに積極参加するのか、巻き込まれるのか。
すっかり作中の三津田さんではなく、著者の三津田さんの策に陥ってる気がしますね(笑)。

そうそう。
最後にひとことだけ。
「終章」の一番最後に、20行にわたって三津田さんの脳裏をよぎる疑問が書かれています。
1字ずつ減っていく、その文章の見た目のインパクトは、かなりのものがありました。
三津田さんの言う「あれ」とは何なんでしょうね・・・?
その次に書かれた「厭だ。」の〈厭〉の文字のもたらす強烈な印象も、書かれていない21行目に何故か断末魔を聞いたような気になったのも、私の気の所為でしょうか。三津田さんの策略でしょうか。
一応、「追記」として、三津田さんにも三間坂氏にも担当編集者にも異変がない加筆されているのを読んでホッとした私は、気にしすぎなんでしょうかね(笑)。

(2022.10.13 読了)

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