『休館日の彼女たち』/八木詠美 ◎

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冷凍食品倉庫で働くホリウチリカのアルバイトは、博物館のヴィーナス像の話し相手。
恐る恐る新しい職場を訪れたリカを、ヴィーナスは「ホーラと呼んでいいかしら?」と迎え入れる。
台座の上で美しくS字に身をくねらせた姿勢のまま、表情筋だけを動かしながら。
新聞の書評を見て「これは面白そう!」と読むことを決めた、八木詠美さんの『休館日の彼女たち』
ワクワクドキドキするような直接的な面白さではなく、大理石のヴィーナスと人とは少し違うリカの交流がゆったりと流れていく様子が、しみじみと面白かったです。

リカは、「他人の目には見えない黄色いレインコート」を常に着ている。
多分、そのレインコートは「他者から自分を守るための鎧」なんだろうなと思いました。リカの外界への恐怖心によっては、厚みを増したり、丈が長くなったり。心理的なものでもあるにも関わらず、夏場はその下に汗疹ができるし、首まで引き上げられたファスナーで息苦しくなったりすらするような、〈リカの生き辛さ〉を表すもの。
リカのアパートの隣の部屋に住む男の子には、誰しもが似たようなものを程度の差はかなりあるけれど身につけているのが見えるという。
思わず、私は何を身に着けているだろうか・・と気になりましたね。そんなに〈生き辛さ〉は感じてないけど、ありのままの自分を世界に晒せるとは、到底思えないし。あまり分厚い鎧ではないといいな、身軽だけど急所はガードしてくれるものだといいな、なんて思ってしまいました。

何千年も生きて(?)きたヴィーナスとリカの、品のいい温かい交流。
冷凍食品倉庫という、特殊な職場でのリカ。アパートの大家・セリコさんとの不思議な会話のテンポ。
ある日ふと訪れた、閉館間際の博物館での、ヴィーナスと学芸員・ハシバミの会話。
現実感があるようで、ふわふわと浮遊してるような感覚で物語は進んでいきます。

美しいヴィーナスが「モデル事務所に入った覚えもないのにじろじろ見られる」のを嫌がるとか、「ずっと立っていると退屈で、なにか一人遊びを教えて」などと言ったり、リカとセックスをしたり、ハシバミの横恋慕を不快に感じていたり、なんていう思いつかないような、それでいて人間臭い反応をすることが、とても魅力的でした。

物語の最後に、ハシバミの執着から逃れ、博物館を脱出した二人が空港にいる様子を、リカにアルバイトを紹介した大学教授が見かけるシーンが描かれました。
セリコさんが作った大きなパッチワークの袋を載せたカートを横に置き、動画編集をするリカ。漏れる音から、その音声がラテン語であることがわかる。「モーニングルーティンを紹介する、早口の別の女性のラテン語」、隣のパッチワークへさかんにラテン語で話しかけるリカ。パッチワークからも声が聞こえる。

「外に出たい」「動画配信でもしてみようかしら」そんなヴィーナスの願いが、こんなふうに明るく爽やかに叶えられる未来が来るなんて、私まで嬉しくなってしまいました。
前からYou Tubeでライブカメラの映像を見ることが好きだったリカと、ヴィーナスのコラボ。
二人は、旅をするYou Tuberになったんですね。
旅のスケジュールについて相談する二人の姿を読んで、私もうふふふ・・と微笑んでしまいました。

リカは黄色いレインコートを脱ぎ捨てることが出来ました、なんていう終わり方ではなく、多分それを着たままで(大学教授には黄色い光の反射が見えたから、きっとそう)、それでも明るく楽しげに生きることができるようになった、というのが素敵ですよね。
逆に、レインコートを着たままだからこそ、ヴィーナスとの逃避行(?)が可能だったのかもしれません。
だって、現実的に言えば大理石像を持ち歩くのは、台車があったとて〈重すぎる〉はずですもの(笑)。

(2023.10.21 読了)

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