斜線堂有紀さんは、初めて読む作家さんです。
本作『本の背骨が最後に残る』、表紙からして幻想的で耽美で、非常に魅力的です。読む前から期待が高かったのですが、全くそれを裏切らない素晴らしい作品でした!!
私、〈少々イタいアンニュイ嗜好〉があるんですが、それにドンピシャ。あ、この場合のイタいは体に与えられる痛みではなく、残念な感じにイタい中2病的なアレです(笑)。
とにかく、耽美で残酷で陰惨で甘美な短編集です。
7つの物語の登場人物たちが陰惨な状況下に置かれてなお、美しいと感じてしまいました。
痛みすら自分の美しさに変換できる、魔法のような力を彼らは共通して持っていたのかもしれないですね。
あるいは、陰惨な暴力に晒され、それでも自我を手放すことなく抵抗する気概が、彼らに芯の通った美を付与していたのかもしれません。
どちらにしろ、私のような生半可な耽美&アンニュイ嗜好では、耐えることは出来ません。
読みながらも、「う・・・」「あぁぁぁ・・・」と、唸ってしまっていたぐらいです。
でも、彼らが醸し出す美しさを堪能しました。本当に素晴らしかったです。
どの物語も切なく痛々しいのですが、「痛妃婚姻譚」が最も華麗で痛切でした。
治療における痛みを、電気信号として別の人物に移し替えることができる技術が生まれた世界で、多くの人たちの痛みを引き受けながらも艶やかに優雅にダンスする〈痛妃〉。彼女らを飾り立てるのは、彼女らの不幸に罪悪感を覚えなくていいように、という利用者側のエゴでしかないにも関わらず、美しさ優雅さの頂点を極める〈舞踏会の主役たる石榴〉の堂々たる姿には、圧倒されました。
その石榴の「百夜通し」の最終夜に仕掛けられた、惨たらしい計略。
幼馴染で〈絢爛師〉の孔雀との踊りをもって舞踏会の終わりまでそれに耐え、主役の栄誉を与えられた瞬間に、世界を意識を生を手放した石榴。
〈痛妃〉でなくなったら、貴方の妻になりたいと、言い残して。
石榴が長い間、痛妃として優雅に耐え続けてこられたのは、彼女の美しさを引き立てることに尽力し、心から彼女を愛し尊敬してきた孔雀を、表には出さず愛してきたからだったのに。
物語の別次元で、彼らが幸せに心穏やかに暮らせる日々があればいいのに、と願ってしまいました。
「本の背骨が最後に残る」と「本は最初に背骨が形成る」は同じ世界の物語。どちらも、禁忌を犯して10もの物語をその身に宿した「十(とお)」の版重ねの物語だが、「本は最初に~」のラストでは、本屋の娘・綴(つづり)が自らの素質に気づき十について語る〈十語り〉となる。
〈本〉や〈物語〉を好む本作の読者である私は、〈十語り〉を聞きたい!と強く思いましたね。〈本について語る本〉だなんて、読書好きにはたまりません。
この2つの物語は、人が本になるための成本所(製本所)・本に執着する偏執者(編集者)などの同音異字の使い方、版重ねされる『白往き姫』(白雪姫)・『姫人魚』(人魚姫)の物語の正しさの競い合い(解釈の縦横さ)など、〈物語好き〉〈言葉好き〉の心をくすぐる設定に、心が踊りました。また、本を彩るその身の装飾や版重ねの場の苛烈さも、その様子が見えてくるような気がしました。
版重ねでは、正しくない本は焼かれてしまう。〈亜種〉を許さないその過酷なきまりのある世界は、私には耐えられないですね~。
たくさんの物語を読みたいですし、数多の人々に語り伝えられるからこそいくつもの〈異本〉がある自由の方が、好きです。
7編それぞれに、残酷で痛みの強い暴力性が描かれているのに、なぜか静かに華やかな情景が浮かんできました。
美しくもグロテスクで、陰惨なのに仄かに明るい、不思議な読み心地の物語たちでした。
(2024.03.06 読了)
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