『ミライの源氏物語』/山崎ナオコーラ ◯


水無月・Rは、〈アンチ源氏の君〉である。
このブログの分類の中に「〈アンチ源氏の君〉におススメ?」なんていうラベルを作ってるぐらい、アンチなのである(笑)。
そりゃたしかに、美貌と才気の持ち主ですよ。血筋もいいですよ。だけどさ、それを鼻にかけて上から目線で女君たちを自分の都合のいいように当てはめて支配し、ちょっと自分に不都合なことがあれば「なんて私は不幸なんだ」とか言ってベソベソ泣く。基本的に自業自得でも。
・・・うん、やっぱり蹴りを入れたい(笑)。
そんな『源氏物語』を、山崎ナオコーラさんがどのように読み解いてくれるのか?というのが、本書『ミライの源氏物語』を手に取った理由でございます。

タイトルだけ見て、「現代語訳あるいは現代風アレンジなのかな」と勝手に思ってたので、読み始めてちょっとびっくり。
とはいえ、読み解くという意味では、期待通りでした。
「紫式部がこの物語を書いた当時の世相を、現代の社会規範とのズレで読み直す」というもの。

千年前では当たり前だったことも、現代に当てはめれば大いに問題アリ、だから現代の読者はイライラ・モヤモヤする。
「マザコン」「ロリコン」「ホモソーシャル」「貧困問題」「マウンティング」「トロフィーワイフ」「性暴力」「産んだ子供を育てられない」「不倫」「ジェンダーの多様性」「エイジズム」「出家」「受け身のヒロイン」と、様々な角度から、「千年前はOK(普通)だったことでも、現代社会規範に照らし合わせればNGだったり多様な解釈ができることであったりする」点を取り上げています。

どの章に関しても「ホントよ、もう、いやんなるわ~」と感じることばかり。
でも、だからといって「『源氏物語』は現代社会規範から外れる良くない作品である」ということには、ならないのですが。

学生時代に『源氏物語』を読んでいた頃は、なんだかボケーっとして流されるままに生きているように見える、女三の宮や浮舟はあまり好きじゃなかったんですよね。
でも、〈アンチ源氏の君〉におススメ?な書籍を読んでいくうちに、〈女三の宮は源氏の君に汚点を与えるという使命を持って登場〉したことや、〈浮舟は恋愛を取らないことで主体性を得た新たなヒロイン像〉ということを知って、この二人の存在の意味に拍手を送りたいと思っていたのですよね。

で、本書で浮舟に関して「受け身のヒロインが主体性を持つ」ことが物語の答えではなく、紫式部の迷いが具現化した姿であること、過去の否定ではないと、山崎さんは書いています。
~~文学には目指すところも答えもありません。ただの旅なのです。
  どんなにモラルが変化し、多様性の受容が進んで、マナーが浸透しても、答えが出ることはないし、旅が終わることもありません。~~(本文より引用)
読書は、旅。言いえて妙、ですねぇ。
物語はもちろんエッセイや実用書だって、読むことによって違う地平へたどり着くことがあると私は感じています。
そういうことなんですねぇ。読書をしながら、作品参加。
なんだか最後に、うま~くまとめられすぎてる感もなくはないですが、〈やっぱり本を読むのは、私にとって喜びでしかない〉ってことを、確認しました。

ところで、高校生の頃に『源氏物語』を現代語訳つきの原文で読破し、大和和紀さんの『あさきゆめみし』も友達から借りて読み、読書ブログを始めてからは〈アンチ源氏の君〉系含めいろんな『源氏物語』に関する本を読んできたワタクシですが、最近になってひしひしと実感できるようになってしまった「エイジズム」に、特にハッとさせられました。
読んでいた当初も、年齢を重ねることで「こうあるべき」「こんな年齢でこんなことをしていたらおかしい」と決めつけられたり、笑い者にされたりすることに対する反感は覚えていたのですが、最近自分も「トシだから(笑)」とか言い訳してないかな?と。或いは、自分より目上の人に対して「頭が固い」「反応が鈍い」などと、軽んじていないかな?と。
日々変化する世相やモラル、若い世代には普通に持っている感覚を自分でアップデートしていくこと、だけど他者にそれを強要しないこと、色々気をつけて、でもあまりギチギチに考えずに出来るだけニュートラルに生きていきたいな、と思いました。

まあ、〈アンチ源氏の君〉と言いつつ、多分私はこれからも『源氏物語』に関連する書籍を読んでいくことでしょう。
そのたびに「源氏の君にケリを入れたい」とか「紫の上カワイソ説」とか「朝顔の宮が一番ステキ」とか、言いたい放題を書いていくと思います。
それは、なんだかんだ言って『源氏物語』が気になるからなんでしょうね。
物語そのものが嫌いだったら、関連書籍なんて読まないですもん。
主人公である源氏の君は、キライだけど(笑)。

(2024.10.23 読了)


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