『塗仏の宴 ~宴の支度~』/京極夏彦 ◎


とある依頼により、関口が伊豆山中の「存在を消された村」をさがす物語から、『塗仏の宴 ~宴の支度~』は始まる。
それぞれに語り手の違う6つの短編が描かれ、合間に「関口が手を下したのかもしれない事件」について、関口が警察に追及されるシーンが差し挟まれていく。
京極夏彦さんの〈百鬼夜行 シリーズ〉の6作目は、なんと上下巻構成です。
今までのシリーズ登場人物たちがそれぞれの短編で役割を果たし、不可解な事件・怪しげな組織などの謎をあとに残しつつ語られる本作、たぶんこれらの謎を解き明かして憑物を落とす続編『塗仏の宴 ~宴の始末~』
前編だけではわからないことだらけ、続きがとても気になります!

「ぬっぺっぽう」「うわん」「ひょうすべ」「わいら」「しょうけら」「おとろし」と妖怪の名を連ね、それぞれになぞらえた事件が起こって、語り手たちは右往左往する。
途中、ちょっとだけ京極堂の語りが入ったりはするけれど、基本的には事件には関わってはいないので、憑物は落ちず、事態は解決に至っていません。
これら6つの怪異は、どのような形で収束して、どのような「理(ことわり)」の光を当てられて、〈怪異なんてものは、ない〉と明らかにされるのか。

存在を隠された村、新興宗教、自己啓発団体、謎の占い師、古武術気功団体、漢方薬局の道場、催眠術、薬売り、風水術、神社に祀られている神の相違、様々な薀蓄の種は蒔かれ、芽を出しつつあります。
これがどのように絡み合い、一つに結実するのか、全く想像がつきません。
先の物語で悪だったものが、次の物語では追われる側になったり、窮地を救ってくれたものが怪しげな活動をしていることが判明したり、入れ代わり立ち代わり、物語の行きつくところは、どこになってしまうのか・・・。

六つの物語の中で、一番気になるのは「ぬっぺっぽう」に出てくる、生ける肉塊「くんほう様」の存在。これが〈真実〉なのか、関口の見た夢現なのか、或いは関口に掛けられた「催眠」なのか。
「くんほう様」故に、GHQまで絡んだ隠蔽が行われたのだとしたら。
それは、実在するのか。実在するとして、何故未だ屋敷内にあるのか?
・・・う~ん、私の単純脳では、全然わかりません。気になります。

ところで、「ぬっぺっぽう」なんですね。
私的には「のっぺらぼう」あるいは「ぬっぺらぼう」なんですが・・・、「ぺらぼう」じゃなくて「ぺっぽう」って、なんかカワイイですね(笑)。
まあ、ストーリー的には最終的に関口が酷い目に合うという、かわいらしさは全くない展開なんですが。
メンバーからの扱いだけじゃなく、ストーリーテラー京極さんからも扱いの酷い関口・・・。

とある女人を露天風呂で絞殺し、その後死体を背負って山に登り、大木に吊るすという暴挙。
・・・はてさて、関口はそんなことをしたのでしょうか?
ていうかね、関口にはそれ無理だと思うんですよ。
裸の女性を襲うなんて、そして激しく抵抗する女性の首を締め上げるなんて、更にはその女性の死体を背負って山に登るなんて、挙句の果てに大木にそれを吊るすなんて、関口にできるわけないじゃないですか。彼にそんな体力仕事ができる筋力や性根が、あるわけないじゃん(笑)。
ただまあ、発見されたときに「私がやったが、私はやってない」という、熱に浮かされたようなことを口走った(とはいえ彼の認識ではそうなのだ)せいで、厳しい尋問と監禁拘束の憂き目にあってしまったのは、致し方ないかな・・・。
続巻にてできるだけ早く、彼に着せられた疑惑が晴らされることを願っておりますよ、私は。

しかし、前作『絡新婦の理』の織作茜が、「惨劇の唯一人の生き残り未亡人」として本作に出てきたのには、ちょっと違和感が。
前作冒頭で京極堂と対峙していた時の彼女と、本作での彼女では、違いを感じてしまうんですよねぇ。前作では、正体を非常にうまく隠していた悪女という感じだったのに、本作では頭の回転は速く人を見る目もあるがあまり悪女感はない様子に描かれてたのが、どうにもしっくりきませんでした。この辺の違和感も、続巻で解消されるのかしら・・・(殺されちゃってるけど)。

(2025.01.21 読了)

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