少しずつ物事が「消滅」していく島。住人たちはそれを受け入れ、消滅したものに対しての認識や感情も失い、日々を過ごしていく。
小川洋子さんの描く、この島の人々が理不尽に失われていくものに対しても静かに受容していく諦観が、もの悲しかったですねぇ。
タイトルの『密やかな結晶』とは、消滅した物に対する記憶ではなく、それぞれにある〈核〉のようなものなのかな・・・と読みながら感じていたのですが、文庫版解説の最後に解説者・鄭さんが小川さんご本人から「ほかの誰にも見せる必要のない、ひとかけらの結晶があって、それは誰にも奪えない。」という答えを聞いたというエピソードがあり、なるほどほぼ合ってるのかなと思いました。
失われるもの、切り落とされていくものへの郷愁と諦観のバランスが素晴らしかったと思います。
突然消失するけれど、そのものはまだ存在していて、でもそれに対する思い入れは失われているので、それを捨て去ることに躊躇を感じない。
私には、その状況が想像できませんでした。
一生懸命、想像しようとするのですが、「目の前にあるのに、思い入れを一切失ってしまっている」という状態がわからない。物事に対する執着心は、そんなにない方だと思ってたのですが・・・。
島の人々が長い年月をかけて少しずつ色々なものを失って、でもそれを受け入れていくしかない、あるもので生活を続けていくしかない、という閉塞感は、静かに静かに人々を蝕んでいったのでしょう。
消滅に対して記憶を失わない特殊な人は、秘密警察の「記憶狩り」に連れ去られる。主人公の小説家・わたしは、自分の担当編集者・R氏が記憶を失わない人だと知り、自分の家に隠し部屋を作って彼を匿うのだが・・・。
匿うにあたって、長らく「わたし」の生活に寄り添ってくれていた「おじいさん」が何くれとなく協力をしてくれ、なんとかR氏のいつまで続くかわからない隠遁生活は継続されていく。
R氏が、わたしとおじいさんに対して消滅したものの記憶を呼び覚まそうと色々と話すのだけれど、彼の努力は買いたいけれど心に全く響かない様子が、「もう、放っといてあげたらいいのに」と思ってしまいました。
R氏の気持ちもわからなくはない。だけど、「消滅を受容している人々」とR氏たちのように「記憶もその存在も失わない人たち」の間には、取り払えない壁があり、お互いを思いやる気持ちとは関係がなく、どうしようもないものなのだ・・・と思うと、本当に寂しかったです。
何故、「消滅」が起こるのか、そして秘密警察は何故それを厳しく取り締まろうとするのか、そんなことは描かれないまますべてを受容する人々の姿が本当に悲しかったです。
最後に残ったのが「声」というのも印象的。声は形のないものだから。
それでも、それすら失われた世界で、R氏たちはどのように生きていくのでしょうか。それが全くわからないラストには、実はあまり希望が持てませんでした。
全てがリセットされた、そんな世界で「何もなかったかのように新しい生活を始める」〈失わなかった人々〉は、あり得るのか。
或いは「失われたものを悼み続ける」のか。「だんだんに風化していくことを受容する」のか。
物語の先(続き)を知りたいと思えないのは、私にとって珍しいことでした。
「小説」が失われ作家でなくなったわたしが、それでもR氏に励まされながら仕上げた「声を奪われたタイピスト」の物語が所々に差し挟まれているのですが、物語の中での現実とは正反対なのに、共鳴していくかのような緊迫感が、息苦しかったです。
こんな風に、悲しい・息苦しい・希望が持てない・・・と感じていても、わたしとおじいさんとR氏のその時々の感情や日常の穏やかさや消滅とは関わりのない思い出などの描写の美しさ優しさには、心穏やかになれました。
(2025.02.18 読了)
この記事へのコメント
todo23
これは間違いでしょうね。私、2008年に読んでいますから。
17年も前なので、中身はまったく覚えていませんが、水無月・Rさん同様「静かな怖さ」と言ったものを感じたようです。
読み直すと面白いかな。
http://todo23.g1.xrea.com/book/keyword.html?key=9784062645690
水無月
「コロナ禍に書かれた云々」は私の勘違いでした!
文庫が新装されたタイミングがコロナ禍で、思い込みで書いてました・・・恥ずかしい。
本文修正しました。
様々なものが失われ、最後には声だけが残り、それすらも消えてしまう。静かな諦観で終わる物語が、印象的でした。
latifa
これ、割と最近(数年前)に読んだのだけれど、、もうはや記憶が曖昧になっちゃってる・・・悲しい。
こちらの感想拝見しても、部分的にぼんやりしていて・・。
小川作品は好きで、ずっと追って来ているのですが、本作は海外で認められた作品らしいですね。
色々、なぜ? って処がある小説でした。
水無月
この作品は、実を言うとちょっと難しかったです。
消滅したものに対しての認識や執着が失われていく、という状況が想像しにくかったので・・・。
ただ、諦めて受け入れている人たちの中に、少数でも失わない人がいることで、余計にその消滅の悲しさ寂しさが際立ったような気がします。
小川さんの作品に漂う、静けさや少しズレた心もとなさ、好きです。