前作『恋に至る病』の、番外編短編集。
4編それぞれ、描かれる〈寄河景〉の姿や状況は違うのに、それでもやはりその存在感の強烈さに恐れを感じてしまいます。
単に頭がよく(対外的には)性格の良い美少女なのではなく、そこはかとなく毒を含んでいることが、読者にだけ伝わってしまう・・・、そんな印象でした。
斜線堂有紀さん、私は未だに景のことは、「誰一人として愛さなかった化物なのか、ただ一人だけは愛した化物なのか」わかりません。
「病巣の繭」
幼少期(5歳)の景に不穏を感じていた母が、堕ちてしまったその日。
「病に至る恋」
ブルーモルフォの指示をこなしながら、変容していくふたりの高校生。
「どこにでもある一日の話」
景と宮嶺のデートの一日。
「バタフライエフェクト・シンドローム」
もし、景が自らの影響力を懸念して、不登校を選んでいたら。
「病巣の繭」、分かる気がするんですよね、私も母親なので。
信じたいから、信じてしまう。どんなに不穏でクロに近く思えても、目が曇ってしまう、不審を無理やりにでも押し込めてしまう。だって、〈いい子〉なのだもの。そういう風に見えるんだから、それでいいじゃないの・・・って。
「病に至る恋」では、ブルーモルフォのプレイヤーたちが「囲い込まれていく」様子がつぶさに描かれます。学校では浮いた存在の2人が、それぞれの理由と過程でブルーモルフォに傾倒していく様子に、そしてふと現れた景の超越した存在感に、戦慄しました。
「どこにでもある一日の話」の、景の企画したデートは、やっぱり宮嶺を離さないための策略だったのか・・・と疑いを持ってしまって、つらかったです。私は、「〈ただ一人だけは愛した〉と思いたいけど、でもたぶんすべては景のコントロール下にあったのだろうな・・・」と、思っている派なので・・・。
宮嶺は、宮嶺の信じたい〈物語〉を、ひたすらに信じることでしか、多分生きていけないのだと思います。
そんな二人が、別の状況で出会ったらというifを描いた、「バタフライエフェクト・シンドローム」。
読了して、非常に複雑な気持ちになりました。
ifの世界線でもやはり景は影響力がとてもあって、そして宮嶺と出会ってしまったら、結局は本編と同じ結末をたどるのだろうな・・・と。
どの世界線でも、景は一人ででもブルーモルフォを運営していただろうけど、宮嶺が「見守っている」「君だけのヒーローになる」と言ったから、その行動はより加速したし深さを増したんじゃないか・・・そう思えてしまったのでした。
何が正しいとか、そういうことを言うつもりはありません。物語ですし。
ただ、何度生きなおしても、景と宮嶺は同じ経過をたどって、景が先に逝き、宮嶺は信じたい物語を胸に抱いて生き続けるんだろうなと思うと、どちらに対しても切なかったです。
ところで、全然知らなかったんですが、本編『恋に至る病』が、映画化されるんですね。もうすぐ(10/24)公開だとか。
内容的に、なんか変な改変が加えられていないといいのですが・・・。ぱっと見映画向きの内容に見えるんですが、ラストの曖昧さは物語的に必要だけど、映画などでははっきりさせたい部分じゃないかなと思うので。
(2025.10.15 読了)
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